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手品師の前口上

紳士淑女の皆さま!
私どもの芝居はただちにはじまる予定です。
ですが、なにとぞ、ほんのもうしばらくご辛抱をお願いいたします。
私どもの劇場は他の劇場とは違い、蒸気船のように機械の力で動かされるわけではなく、むしろそれは、潮の干満と風と海流とに左右される三本マストの帆船に似ております。

そして紳士淑女の皆さま、どうしてもお認めいただかなければならないことがあります。
つまり、目的地めざして野蛮で愚鈍な努力をかさねる蒸気船と比べますと、三本マストの帆船のほうは美しくて敏感なのです。
当然ながらあらゆる高貴なものの例に漏れず、いささか古風ではありますが。

これからお目にかけますのは、紳士淑女の皆さま、皆さまをさらに賢明にするものでもなければ、さらに高潔にするものでもありません。
私どもの劇場は学校でもなければ教会でもないからです。
世界の不幸が私どもの上演によって減るわけではありません。
もちろん増えるわけでもありませんが、ともかく不幸はすでにたくさんあります!

私どもにはいっさい下心がありません。
それどころか皆さまをごまかそうという下心すらありません。
私どもは議論をいたしません。
なにひとつ証明するつもりも、なにひとつ告発するつもりも、なにひとつ示すつもりもありません。

そうです、もしも皆さまが私どもの芝居を絵空事だとお考えになられるのであれば、私どもの芝居にはリアリティがあるのだなぞと弁明するつもりすらないのです。

紳士淑女の皆さま、私どもはまるで観客など不必要であるかのような印象を与えかねません。
ところがそうではないのです。

さていま、皆さまは観客席に、私どもは舞台におります。
そして皆さまは、木戸銭をはらわれた以上まことに当然のことながら、そろそろ『なぜ、どうして?』と不審に思い始めておられるのではありませんか。

紳士淑女の皆さま、皆さまは、なぜ私どもの芝居がいまだにはじまらないのか、お知りになりたい。
喜ばしいことに、それは誰の責任でもない、と申し上げることができます。

現状況におきましてこのような困難をきたしているもの、それは肉体化です。
私どもの魔術師はすでに何時間も前から額に汗して、アグリッパからアインシュタインにいたるきわめて強力な呪文の数々をとなえて、この幕の後ろで人間の姿を凝縮して可視的なものにするよう、作業を続けております。
にもかかわらずいままでのところ、せいぜい二次元止まりで、バラバラと崩れて文字の小山になってしまう危険に絶えずさらされているのです。

もっともそのうえに、以前の芝居の残骸で、今や舞台の邪魔者となっているものが、まだ数多くあるのでして、まずそれらを消さなくてはならない。
このこともまた、遅れの一因であるかもしれません。

紳士淑女の皆さま、私どもは皆さまのご協力を期待しております。
ですから、ご親切にもご助力いただけるのであれば、座長に代わりまして心よりお礼申し上げます。
よくお聞きください!

やっていただきたいのは、ひとりの綱渡りを全力で想像することです。
姿が見えますか?
頭上高く、二本のマストのあいだで、体をピカピカ光らせ、足はほっそりと、下には、ゆらゆら揺れる短い綱と奈落だけ。

いいえ、紳士淑女の皆さん、綱はありません!
真の綱渡りの義務は、首の骨をへし折る覚悟をすること。
もちろん、自分の首の骨を、です。
綱渡りは、つまるところ将軍ではありませんから。

ところで、どうして?

綱渡りは、ピンと張り渡された一方の端からもう一方の端へ渡るつもりです。
平らな地面を歩くなら、何の危険もなく快適でしょうし、同じ目標にたどり着けます。
が、しかし、綱渡りはどうしても綱の上に道を選ばなければならない。
なぜ?

ギャラのためでは、けっしてありません。
ギャラはわずかな額です。
大胆な冒険心は誰の役にも立ちません。
彼自身には、最も役に立ちません。
観客の感嘆も、いつ墜落するかわからないという危険を考えれば、わずかな値打ちしかない。
それにです、真の綱渡りならば、観客が一人もいなくとも、自分の義務を果たすものです。

ところで彼にとって、一方の端からもう一方の端へ行くことは、そんなに重要なことなのでしょうか?
それどころか、その両端はどのようにも変えられるのではありませんか?

どうかお考えください、どうして彼は、いずれにしてもすでに疑わしい自分の存在を、危険な目に遭わせるのでしょう?
しかも何度も何度も繰り返して?

~鏡の中の鏡/ミヒャエル・エンデ~
by waraino-naikaku | 2011-03-25 10:58
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